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こんにちは2020

みなさんあけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

いよいよ東京オリンピックですね。
マラソン・競歩が札幌で観られるなんて・・・
人生最初で最後のオリンピック競技観戦を楽しみます。

 

さて、年末に戦国武将の総選挙をやっていたので
今回それをご紹介したいと思います。

 

第10位・・・石田 光成
光成と言えば、秀吉の「三献の茶」や大谷吉継との「茶の友情」など
何かとお茶のエピソードが多いですね。

 

第9位・・・明智 光秀
光秀は頭脳明晰で行動にぬかりがなかったので、信長は「用心深くて
油断のならない奴じゃ」と思っていたそうです。

 

第8位・・・黒田 官兵衛
官兵衛も切れ者で、本能寺の変で秀吉に天下取りの好機と進言、
毛利との交渉もまとめたので、逆に秀吉から警戒されています。
先の光秀といい、切れ者すぎてもダメなんですね。

 

第7位・・・武田 信玄
信玄は若いころは男女を問わぬ色恋と酒に溺れる毎日を過ごすほど怠惰で
享楽家でしたが、家臣が離反したことは生涯一度もなかったそうです。

 

第6位・・・豊臣 秀吉
信長の家臣だったころの殿への気配りと天下人となってからの金と権力の
亡者となった性格のギャップが激しすぎます。
ちなみに、草鞋を温めたエピソードは創作だったようです。

 

第5位・・・徳川 家康
家康は六歳のとき、今川家に送られる途中で継祖父に銭五百文で織田に売られ
その後、織田と今川の人質交換で今川家へ送られたそうです。
なんですかね、この二度手間。一番儲けたのは継祖父ということでしょうか。

 

第4位・・・真田 信繁(幸村)
「日本一の兵」と呼ばれ、家康を最も追い詰めた信繁ですが、
大坂の陣まで無名で、入城のとき山伏と勘違いされ止められたそうです。

 

第3位・・・伊達 政宗
日本で初めてステーキを食べたそうです。戦国最後の大物で、
あと二十年早く生まれていれば天下を取ったとも言われています。

 

第2位・・・上杉 謙信
謙信には女性説というのがあるのですが、妻がいた史料が最近見つかったので、
男性とのことです。う~ん、残念。

 

第1位・・・織田 信長
予想通りの信長でしたね。その死の真相について毎年新たな説が発表されている
そうですよ。日本史上最大のミステリーですからね。

 

さて、私個人の年末年始はといいますと・・・
人生で初めてタピオカドリンクを飲みました(-_-;)



 

Fさん東京土産ありがとうございます。
美味しくいただいてます。

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