- 2015-08-17 (月) 15:57
- 田中の日記
最近、夜が少し涼しくなってきましたが
夏の風物詩、夏の甲子園は熱い戦いが続いております(*_*)
そこで今回は久々にカイロ界の雑学王(自称)田中が
甲子園雑学をいくつかピックアップしてみました。
・延長18回引き分け再試合のルールを作ったのは・・・
坂東英二(笑)
1958年夏の大会(第40回)、「18回引き分け再試合」のルールが出来ました(それまで無制限でした)。
同年行われた春季四国大会の高知商戦で延長16回を完投。
雨で1日おいた決勝の高松商戦もまた延長に入り、
敗れはしましたが25回・5時間27分で決着したそうです。
これを見た役員が「健康管理上まずいのではないか」と
延長の規定を進言したそうです。坂東さんのおかげですね。
そうなんです。昔はゆで卵ではなく、野球ボールを持った高校球児だったんですよ(笑)
・122対0という試合があった
1998年の青森県大会。東奥義塾vs深浦。
勝った東奥義塾の攻撃の内訳は、
打者149人、ヒット86、四死球 36、本塁打7、三塁打21、二塁打31、そして盗塁78。
もうここまでいくとラグビーのスコアみたいですね(T_T)
・大会開催代わりに茶話会を開いた年があった
1918年夏の大会(第4回)は米騒動のために大会は中止になりました。
そのかわりに開かれたのが『茶話会』だそうです。
米騒動のため8月14日に大会の延期を発表!!
大阪朝日新聞本社で選手の茶話会が開かれたそうです。
米騒動とはなんだか歴史を感じますし、
はたしてどこが優勝したのかが気になります(笑)
・応援のために象を連れてきた高校があった
1951年春のセンバツに出場した兵庫県代表・鳴尾高校。
応援団長が甲子園球場には内緒で、
甲子園近くの動物園からアジアゾウを連れてきたそうです。
象は悠々とグランドを回って選手たちと記念撮影をしていたそうですが、
即、強制退場させられたとのこと。
昔はすごいことをしてたもんですね・・・
代打で出そうとでも思ってたんでしょうか(笑)
・最初にアルプススタンドと名付けたのは・・・
岡本太郎(^O^)/
岡本太郎が18歳の時、甲子園を漫画家の父・岡本一平と観戦。
白い服を着た観客で埋まるスタンドを見て、雪で覆われた山脈を連想。
「まるでアルプスのようだ」と話していたことがきかっけらしい。
どうですか?18歳にしてこの発想力!
私みたいな凡人には思いつきもしません(T_T)/~~~
そりゃ芸術も爆発しちゃいますね(笑)
いかがでしたか?
他にも細かすぎるネタはあるので興味のある方は
是非声をかけて下さい(^_^)v
写真はOさんからいただいた東京土産です!!
Oさんいつもいつもありがとうございますm(__)m
これをいただいて夏バテ乗り越えたいと思います・・・
ビールとともにですけど(笑)