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18年経った今も・・・

東日本震災から今日で11日目、
死者、行方不明者合わせて2万人以上、
福島第一原発も予断を許さない状況が続き
今回の大地震による被災の爪痕を感じ続ける今日この頃、
今は被災された皆様の無事をただただ祈るばかりです。

私、田中も釧路で2回震度6の大地震を体験しています。
その中でも平成5年1月15日に起きた
釧路沖地震の記憶は18年経った今でも忘れる事ができません。

あの日はちょうどスキーの合宿から釧路に戻り、
自分の部屋で少しゆっくりしようとしたまさにその時でした。

ガーーーーータガタガタガタガタガシャーーーーーン

といきなり家がものすごい音とともにたて揺れを起こし始めたのです。
それは地震というよりはなんか急に家が崩れていってるような・・・
その後今までに聞いたことのない唸りのような、

ゴオオオオオオオオオオオーーーーーーーー

という大音量の地響きが一層恐怖心を仰いできます。
本当にあの音はこの世のものとは思えない恐ろしいものでした。
私は倒れてくる本棚を押さえるので精いっぱいでしたが、その後、

ギシギシギシギシギシギシギシシシーーー

と、ガラスサッシの軋めく家の悲鳴みたいな音。
想定外の出来事に人生で初めて死を悟りました。

その時、「いいから早く下りてきなさい!」と親の声で我に返り
揺れる階段をなんとか必死に壁伝いに下りたのを覚えています。

その後地震が終わり、落ち着いたのもつかの間、
家から出ようとすると玄関が全くと言っていいほど微動だにしません。
家が歪み、玄関の枠が狂ってしまったのです。
それは窓に対しても同じことでした。出たくても家から出れないのです。
(もしかすると今回の津波でも逃げたくても家から出れなくて被害に遭われた方いるのでは・・・)
父親と窓ガラスを割るかと協議しましたが、
北海道の真冬の夜にはあまりにもリスクが大きすぎます。
すると奇跡が起きました。奥の部屋にある窓が少しだけ開いたのです。
そこを何とかこじ開け、外に出てみると目に入ってきた光景は・・・

水道菅が破裂し、水がものすごい勢いで噴き出している道路

波を打ったかようなボコボコな状態のアスファルト、崩れ落ちたコンクリートの外壁や車庫

家の真ん中に大きなひびが入り半分が崖に倒れかけている隣の家

普段見慣れた光景とは全くと言っていいほど変わり果ててしまいました。
辺りを見回りましたが、近所の方に死者、負傷者がいなかったことがせめてもの救いです。

その後の生活も大変を強いられました。
FFストーブが壊れ、家族4人で小さな灯油ストーブで暖を取り、
水道・ガスは使えず、カセットコンロと汲んできた水での生活がしばらく過ごしました。

あの地震において運命を感じている事があります。
じつはスキーの合宿は次の日16日までの予定でした。
急きょ、予定が変わり一日早く帰ることになったのです。
当初の日程であれば地震に遭うことはなかったかもしれません。
でも私という男性がいたことで父親の負担を減らしたり
何らかの役には少しでも立てたのではないでしょうか。

そしてこういう状況下の中、家族と一緒に入れた事、本当によかったと思います。
もし、家族に最悪な事態が起こった時、一緒にいる事のできなかった悲しさ、悔しさ、もどかしさ・・・

そんな事を考えると今回の地震に遭われた方々の心情は察するに余りあります。

今、私しかできないこと・・・それは
この経験を糧に少しでもこの辛い状況を理解し、祈り続ける事。
(ダルビッシュの足元にも及びませんが義援金も送ります)
そしてこういう時だからこそ明るい気持ちで患者さんに施術していきたいと思います。

最後にどんな状態においても強奪や暴力も無く
常に気遣い、いたわりの精神でいる被災者の方々、
あなた方と同じ日本人で生まれたこと、そのことを誇りに思います。
私の願いはただひとつ、

どうか生き続けてください。本当にそれだけです。

PRAY FOR JAPAN

田中 正能

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